
森は夜明けの陽光を浴びつつ、しんしんと冷え込んでいる。
トゥーリカはいつものように、弓を背負って大樹の最も高い枝に腰掛けた。
獣耳をピンと伸ばし、風の音や遠い小鳥のさえずりといった、森の音を拾い上げようとする。
しかし何も聞こえてこない。森そのものが深く眠っているかのように静寂だけが周囲に漂っていた。
ーーまるで広大な森からあらゆる生命が消え、一人ぼっちでいるような感覚に陥る。
「まぁ、獣人族はボクひとりだけだし。あながち間違いでもないか......」
獣人族が森からいなくなっておよそ十年。
ただひとりの生き残りであるトゥーリカは、時折ふとした瞬間に孤独を感じていた。
多様な種族が暮らす森において、同族を持たない唯一の存在である自分は異端の中の異端なのだと、そう強く意識させられた。
「......やーめた。暗いのは性に合わないや」
無理やり笑みを作り、日課である森の見回りに向かおうと枝から飛び降りた......その時だった。
「おい、そこをどけ! これは私のものだ。横から奪おうとは卑しいやつめ!」
「何を言おうか!? 横取りを目論んでいたのは貴様の方であろう。恥を知れ、恥を!」
静寂を破らんばかりの怒声が鳴り響く。トゥーリカは身を強張らせつつも、状況を理解しようと耳をそばだてた。
「うるさい!この耳長め!」
「何だと!?耳が長いのは貴様も同じではないか!」
「いいや、私たちの耳は美しい。美しいがゆえに長いのだ。ただ長いだけの耳を持つ貴様ら種族と一緒にするな!」
声を荒げる者たちの正体を何となく察すると、トゥーリカは胸を撫で下ろした。
まるで木々の間を抜ける風のように渦中へと駆けつけ、互いに相手へ掴みかかろうとするエルフとダークエルフの間に割って入る。
「はーい、そこまで! ……で? お二人は今日何で争ってるのかな?」
「 「あれだ!」 」
エルフとダークエルフが同時に指し示した場所には、特大のキノコが生えていた。
「ま、まさかとは思うけど……キミたち、ただのキノコで揉めてるの?」
「何を言う、トゥーリカ! あんな特大なキノコ、なかなかお目にかかれんぞ。あれこそ森の贈り物! 我らエルフにこそ相応しい!」
「まだ言うか! あれを見つけたのは私が先だろう!」
何年……いや、ひょっとしたら何千年と繰り返してきたであろうエルフとダークエルフの小競り合いは、トゥーリカが森を見回る度に遭遇するいわば日常的な出来事だった。
だからこそトゥーリカは事態を速やかに収める手段を心得ていた。
「わかった!それじゃあ、こうしよう」
トゥーリカは背後に手を回すと、素早く弓を取り出した。そのままの勢いで矢をつがえて放つ。
矢は正確にキノコの中心部を捉え、真っ二つに切り裂いた。
「「あ......」」
エルフとダークエルフはまるで息を合わせたかのように顔を向かい合わせる。
「はい。これでキノコは2つ。争いは終わり。いいよね?」
結局のところ、彼らは自分たちが相手より格上であると示したいだけできっかけはなんでもいいのだ。だからこそ強引な答えを示してあげれば、驚くほどあっさりと争いは収まる……いつも通りであれば。
「……いいや、納得できん!」
「すまんなトゥーリカ。やはりあれほどの稀少なキノコ、半分とはいえエルフにはやれん!」
トゥーリカの予想に反し、エルフとダークエルフは剣を抜いて打ち合い始めた。
静かな森に、金属のぶつかりあう激しい音が響き渡る。
「ちょっ……、やめなって! この辺りは彼らの生息地だよ。こんな朝っぱらから大きな音を出したら……」
「ウゥ……ルゥ……サァ……イィ!!!」
金属音をかき消すように大音声の怒声が響いた。それはやけに間延びしたような独特な言葉遣いだった。
「マズい……トレントが目覚めた」
トゥーリカの予想通り、声の主はこの地に棲まう長寿の種族トレントだった。彼らは温厚な種族ではあるが、怒らせると手が付けられない場合がある。
「急いでなだめないと……!」
トゥーリカはトレントのもとへ駆け出したが、直後に地面が大きく揺れた。トレントが地中深くの根を震わせたのだ。
「キャーっ! 何事何事!?」
「揺れないでくれー!おれたちの巣が!」
「おい!誰かこのうるさい声を止めてくれ!」
トレントの起こす振動が、森に棲まう多様な種族を次々と覚醒させていった。騒動がさらなる騒動を生み、森の喧騒が波及的に広がっていく。
トゥーリカは目の前の事態に呆気を取られながらも、解決を図るため再び駆け出した。
まずはトレントを事情を伝えて怒りを鎮めてから、エルフとダークエルフの打ち合いを半ば強引に止めた。
その後、慌てふためく妖精たちを落ち着かせ、彼女たちに協力を仰ぎ小動物の住処を直した。さらに小さなトラブルを何件か収めつつ、再度喧嘩を始めたエルフとダークエルフを宥めたときには、既に日が暮れかけていた。
淡いオレンジ色の空に薄っすらと浮かぶ星を眺めながら、トゥーリカはようやく一息ついた。
「今日は……本当に……疲れた……」
全身を包む倦怠感に顔をしかめつつ、一日の出来事を振り返る。
ふと、朝に抱いた孤独感を思い出す。隙あらば胸に去来する負の感情は、慌ただしさでいつの間にかかき消えていた。
「みんな……ありがとう」
もちろん、森の住人たちが意図したことではないだろう。だがトゥーリカは彼らとの日常と、慌ただい日々に感謝せずにはいられなかった。
もうじき夜がやって来る。やがて朝も。少しだけ前向きになれる明日へ、トゥーリカは思いを馳せる。
2025/12/29 08:30